雲外に蒼天あり、異邦人にも居場所あり



どこにいてもわたしは異邦人


つづき)――その日の夜は寝つけなかった。


アメリカから家族で東京に移り住んで1年と経たないうちに「うちの学校を退くように」と、つまりは退学をすすめられた。ほっとした。

今ほど帰国子女が多くない時代だったから、アメリカから女の子が転校してくるという事実は『アメリカから白人の可愛い女の子が転校してくる』というビッグニュースに変換され、学校中の期待となっていたらしい。しかし実際に現れたのは彼らと大して変わらぬ平坦な顔をした台湾生まれでアメリカに暮らしていただけの、眼鏡をかけた大きな体の女の子。

白人の女の子を期待した面々が、教室の外からも内側からもわたしを見てた。くすくす笑う女の子たちの声と、男の子たちの落胆のため息がマーブル模様になって耳に届く。勝手に期待されて勝手に落ち込まれて、勝手に嫌われた。いつの間にかイジメのターゲットにされていて、いつの間にか「校風に合わない問題児」として先生たちからも厄介者として扱われた。


アトピー性皮膚炎のわたしは汚い子 


溜まっていくだけのストレスが、元々持っていたアトピーをさらに酷くした。毎朝、新しいかき傷が増えていった。かきむしって爛れた皮膚からは体液が漏れていた。傷口が下着やパジャマに張りついている朝はとくに憂鬱だった。それを肌からはがすのはとても痛かったから。

「あんたの洗濯ものは血と体液で臭いし汚いから、一緒に洗わない」

わたしの洗濯ものはゴミ袋に入れられていた。家でも学校でものけ者だ。誰からも必要とされていないし、どうやらわたしは汚くて臭いらしい。母がそう言うのだから間違いではないのだろう。

――通っていた中学校を退学になって、関西に越すことが決まった時は嬉しかった。神戸には優しいおじいちゃんとおばあちゃんがいる。アメリカからの転校生ではなく東京からの転校生なら、目立たなくてすむ。

目立ちたくない。目立ちたくない。目立ちたくない。
目立ってしまったら……また、やられる。


大阪と神戸、いることがゆるされた場所


関西の中学校は肌に合った。「おもしろい子」が一番だった。「頭の回転が速くて面白いことを言う子」が誰より優れていて人気者だった。アメリカから来ようが東京から来ようが関係ない。ええかっこしぃの子は嫌われるけど、面白くなろう、関西特有のコテコテ文化を積極的に楽しもうという前向きな姿勢があれば仲間にしてくれる、友だちになってくれる、うけ入れてくれる。

テレビをつければ芸人さんが喋ってるから、ヒアリングの勉強になる。
ラジオをつければ日本の音楽と関西弁と独特の「間」の3つが学べる。
夕方の4時になるとダウンタウンという若手漫才師が、後に伝説となる番組でボケとツッコミのお手本を毎日見せてくれていた。

関西の大学を出た父と神戸育ちの母は水を得た魚のように――わたしや弟よりも――関西での暮らしを楽しんでいるように見えた。アメリカや東京にいる時とは比べものにならないくらい母は『爆笑』していることが多かった。

「かみぬまえみこ」というおばさんの出ている番組を母はよく見ていた。そして大笑いをしていた。「かみぬまえみこ」のように話すことが出来たら……少しは母に好かれるのかもしれない。今思えば馬鹿みたいだが、あの当時わたしは上沼恵美子になりたかった。ほとんど本気で。

同級生もわたしも受験生だったから、毎日がすごく楽しいと胸を張って言えるほどではなかった。それでも塾の帰りに公園やマンションの下で話したり、友だちのお姉ちゃんから聞く高校生活の輝きに自分を投影しては理想の眩しさに目を細めた。実際には1年も通えていないのに卒業式には次々と「麗ちゃん、写真撮ろうや。サイン帳になんか書いてー」と声がかかる。親友はできなかったけど友だちはたくさんできた。


ようやく手に入れたふつうの、ふつうに笑える毎日がまた終わらされてしまうのかもしれない。あの日と同じようにまた目立ってしまったから。あの日と同じようにまた見世物にされてしまったから。

だから男子バスケ部のMGになろうと思った(イケメンの先輩がイケメン過ぎたというせいもあるけど……)。際立って目立つ大きな力のある先輩たちの多いところに仲間入りさせてもらったら、わたしなんてきっと霞むから。特異な目で見られこそすれ、いじめられることはきっとないだろうから。

(つづく)


❤本日の一曲:Cris Cab/Englishman In New-York





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